川北
はじめに青年部を立ち上げたきっかけを教えて下さい。
徳久初代会長
はい。きっかけは40年程昔の話になりますが、須崎駅前から西町まで続く「商店街の活性化」のために青年部を立ち上げました。当時は商工会議所からの勧めもあり徳島県阿南市の商店街まで視察に行ったりもしました。当初、青年部に所属できるのは該当地域の若者に限定されていましたが、時を経て入会条件を緩和し、須崎市全域より多くの熱あるメンバーが集まりました。
川北
当時はどのような活動をされていたのでしょうか ?
徳久初代会長
商店街や地域の活性化イベントはもちろんのこと、他にも大型帆船の「海王丸」や「日本丸」を須崎港へ誘致し、盛大にイベントを行いました。また須崎まつりでは、はし拳駕籠かきレースを主催しながら商店街の中でミニSL列車を走らせたりしていました。多くの子ども達が行列を作る程の盛況ぶりでしたよ。春先になると女性会と桜まつりを共催したり、第15回四国ブロック大会も須崎で開催しました。当時は少ないメンバーでしたが、皆で団結して精力的に活動しました。
川北
青年部活動で特に思い出に残っていることはありますか ?
徳久初代会長
過去に読んだ書物の中で、岩崎弥太郎が創業した海運業を主とする九十九(つくも)商会(※後の三菱商会)と須崎市、そして大阪の堺市に深い繋がりがあることを知りました。そこで人口規模は違えど須崎市と堺市との間で姉妹都市提携ができないかと模索した時期があります。残念ながら実現には至りませんでしたが、数年後に青年部主導のもと、木材輸入先であるニュージーランドのタウランガ港と姉妹港提携を結ぶことができました(※現在は友好都市としても提携)。今でも堺市との姉妹都市提携が実現できればと願っています。偶然にも川北さんは堺のご出身だと聞きました。こんなご縁は滅多にありません(笑)。会長をはじめ現役メンバーに私の夢を託します !
川北
最後に現役メンバーに向けてメッセージをお願いします !
徳久初代会長
人口減少に歯止めがかからない現状ですが、行政や会議所と今まで以上にタッグを組み、メンバーそれぞれがリーダーシップを発揮してより良い須崎市となるよう牽引していって下さい。今後の活躍に期待しています ! !